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2012/06/13

ハンセン病について

ハンセン病については厚労省のハンセン病に関する情報ページが詳しいが、ハンセン病について何が問題だったのか理解する一番の道は、患者の生の声に耳を傾けそのエピソードを積み上げた集大成から導きだされるもの。

星塚敬愛園『名もなき星たちよ』からつれづれの歌を読んで


皇室の存在が患者にとって精神的支えとして如何に大きなものだったのか、親兄弟親戚や地域はおろか国・都道府県・市町村さらには医療施設からも偏見に満ちあふれている中で、しかも戦前の皇室なのだから今の時代からは想像できないものだろう。

なお、『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』では、皇室の隔離施策の正当化に果たした役割を冷静に分析しているものの、つれづれの歌に書かれている皇室活動を決して損なうものではない。むしろ、組織としての皇室と個人としての皇室という二面性があるようにさえ感じる。

患者収容を読んで


戦前はともかく戦後間もない米国GHQ統治下のデモクラシー優先時にでも患者の人権保護よりも集団防疫が優先され非科学的な対応もなされていたことは記憶していかなければならない。

最近の事例でも新型インフルエンザの停留措置ではメディア報道が拡声器のような効果も果たしたこともありこの風潮は根強く残っている。保健所がハンセン病患者の自宅消毒を行う際の防御服の描写は水際作戦で飛行機に乗り込む検疫所職員の姿と重なる。

皇太子奉迎を読んで


2年後に東京オリンピックが開催される1962年は現天皇が成婚された3年後。既に戦後の混乱も収まり新しい日本の構築が始まっているとき、皇太子夫妻の奉迎に300名の入園者が参加できたのは彼らの熱意が通じたものであり、時代が変わったことを示している。

しかし、数日後、入園者が陣取っていた沿道を市の衛生部が消毒したことが判明し、その抗議に対して市当局が陳謝するという時代でもあった。ここにも個人としての皇室の規範と、組織としての市の衛生部の行動とのギャップに驚く。

その10年後の1972年にもげ現天皇夫妻は国体の合間に星塚敬愛園を訪問された。

国民の誤謬か行政の誤謬か


『名もなき星たちよ』を読みすすむにつれ、ハンセン病患者への人権侵害はヒトそのものの本能的なものが顕在化しているような思いがする。新型インフルエンザや精神障害者の隔離施策の合理性を突き詰めるよりも組織防衛を優先する考え方や、ヒトの単なるデビエーションに過ぎない同性愛者への偏見は学校でのイジメに通じるものがある。

行政も立法も司法も国民の総意を具現化するための組織とするならば、行政の誤謬は、どこまで合理性を追求するかという国民からの期待から背かない限り、国民の誤謬と言えるのではないだろうか。

国民の誤謬があるとしたならば、何に起因しているのか、それを解き明かさなければならない。

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