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2015/07/03

2015/7/3(金) まとめ

今日は噴火翌日の土曜出勤の代休の日

湯河原腸チフス事件に学ぶ


1976年に卒業して初めて配属されたのは厚木保健所だったが、その所長は1975年の100名を超える水系感染の湯河原腸チフス事案の陣頭指揮をとった鈴木忠義先生だった。

鈴木所長は私の母校の先輩でもあり、そのときの話をよくしてくれた。いまでも記憶に残っているのは、

電話が鳴り続け保健所はあたかも戦場のようだった。増加する患者に対応すべく部下や関係機関への命令や指示依頼は躊躇なくしなければならなかったが、そのメモを所内の中央に置いている棒に刺していくことにした。
これがその後とりまとめるときに非常に役にたった。日付が無いメモも時系列に刺されているので前後関係が分かる。大規模事象が起きたときには取り敢えずメモだけは散乱しないよう単に刺していくだけでも充分だ

日記終了


私も今回の口永良部島噴火に伴う保健所の動きを保健所長の視点からまとめる必要があることは噴火後数日を経て実感し、記録として残すことにした。

時代は40年後である。インターネットの時代であることから紙に記載するメモという記憶の整理ではなく、屋久島保健所長日記というブログ形式でとりまとめることにした。リアルタイムに更新しながら内容は随時推敲しりライティングをし公開に問題ないように配慮したが、まだその点については推敲の余地は残っている。

ここ一週間ほどは口永良部島噴火対応というよりも保健所長の日常業務の日記に近くなってきた。

また、来週は通例である保健所屋久島町保健師等連携会議は開催されず翌週になるなど、一定の口永良部島噴火対応も安定期に入ってきた。
今後の流れは屋久島町が実施する全戸訪問、それを踏まえての県精神保健センター長による指導助言、それに基づくフォローアップなどがあるが、県担当者による予算的な配慮も頂けることになり、解決しなければならない課題は無くなった。

この日記を口永良部島噴火対応にのみにスリム化するのではなく、MERSや腸管出血性大腸炎そして医療構想などのトピックも残すことにしたが、これは保健所長の日常業務の一端でも公開できればとの思いからである。

ここに書ききれないここ一週間で起きたトピックは犬による咬傷事故、多頭飼育の飼養犬の放し飼い、結核の接触者健診など県民の生活面特に健康面からの安全確保に責任をもって対処していた。

総務省が主導したと思われる保健所長は医師でなくともできるという規制改革は、現時点では幸いにして未だ非医師の保健所長がいないが、今回のような口永良部島噴火対応など健康危機管理で非医師が陣頭指揮をとれるのだろうか、甚だ疑問である。

追記


県保健福祉部下村次長が来島し慰留されたことから来年3月まで勤務することにした。

2015/07/02

2015/7/2(木) 達成度の低さ高さ

今日も屋久島保健所勤務の日

今日は3回唸った


内容は達成度の低さだけなので、敢えて日記に記載することはしない。

しかしながら指導しても改善可能性が見えないときの対応には苦慮する。
身体障害者に限らず精神障害者にも広く社会参加させるのが国民の合意。人はすべからく社会参加する権利があり、その能力の限度において社会参加の場を提供すべきである。いわゆる排除の論理は選択すべきでない。
私にできるのは適材適所しかないのか

腸管出血性大腸炎の疫学調査の結果が出た


新人保健師が可能性について言及した奥さんが健康保菌者じゃないかとの仮説は外れ、奥さんの検便検査は陰性だった。

あらゆる可能性を推察し結果を見て経験として積み重ねることは技術屋を成長させる。 
やはり腸管出血性大腸炎の孤発例に関しては感染経路究明は難しい。

2015/07/01

2015/7/1(水) 池田県医師会長が避難所訪問

今日は臨時の屋久島保健所勤務の日

さすが県を代表とする県医師会長


15時からの池田県医師会長に同行するために屋久島入りすることにした。

本来は民間団体の活動に行政が便宜供与するにはそれなりの公益性が必要だが、口永良部避難者のための町への義援金の贈呈と避難所訪問は充分すぎる公益性があると判断しての同行である。
仲熊毛郡医師会副会長も屋久島町役場から避難所訪問まで池田医師会長に随行していただけることになり、保健所長としては脇役になれたことが今回の医師会への便宜供与に一定の担保ができたことに一安心

さすが県を代表とする医師会長、避難所では島民に声をかけ慰問するかのようにひとりひとりの生の声に謙虚に真摯に傾聴している姿には頭が下がった。

いろいろな方の避難所への同行をしたが、ある方は避難者に声をかける気配もなく旧知の人と歓談したり、遠慮からか遠くから避難者を眺めて声をかけられなかった方など様々だったが、今回の池田医師会長は避難者の側に寄り添いその想いを真摯に傾聴したのはあたかも天皇陛下の慰問を彷彿させるようで初めての体験だった。医は仁術それを実感した。

同行した保健師も既に顔なじみになっており気さくに避難者と会話していた。