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2012/05/15

Googleは情報民主主義の次に人類総背番号制に向かっている

Googleがインターネットの覇者なのは誰もが認める。その勢いは留まることを知らずパソコン業界の覇者のマイクロソフトの牙城であるOSの一角、そしてアップルが開拓したスマートフォンマーケットに、携帯電話OSアンドロイドで侵入し始めた。

アップルが完敗したあと、マイクロソフト帝国が始まったが、ニッチな新しいジャンルの携帯市場の王者になった。グーグルはインターネットの覇者で満足せず、アンドロイドでアップルを追撃している。

UNIXはソースコード公開の無料のOSだが、同じ手法をGoogleが選択した。善でなければ独占できない。独占するなら善でなければならない。

情報民主主義


話をGoogleの原点であるインターネット検索事業に戻したい。一時期、有名になったGoogle八分。出所は弁護士が主宰している悪徳商法マニアックスがGoogle検索で一切見えなくなった事件だ。かなり前の話なので、誰もが悪徳商法マニアックスに理があり、八分されなくなるだろうと思っていたが、いまだに八分が継続している。

人知を及ばさないシステム化された運営がGoogleの基本だから例外対応を選択できない。ある意味では安心であるも融通の効かないシステムに驚嘆している。

一方、明らかに誹謗中傷や名誉毀損であろうとも法による命令が無い限り、その情報を検索できるシステムを提供している。法による命令のイタチゴッコに疲弊するよりも、情報化社会での対処方法は善なる情報で抗弁し、その情報の検索順位を上げるしかないとでもGoogleは思っているのだろう。

人類総背番号制


現在のGoogleシステムでは、夫婦は別人格だが一度同一人とシステムで認識されると、同一人格となってしまう。それを回避する仕組みを未だ作っていない。法人を個人IDで運用していると個人が法人となってしまい、別人格になれない。

国民総背番号制どころか人類総背番号という途方も無い世界に向かっているのは明らかだが、Google社による人類総背番号システムはGoogleが善であり続ける担保がどこにもないのが実に怖い。

公平な運用はプログラム化されたシステムからという曖昧な人が判断するという例外処理を認めないのはひとつの考え方だ。しかし、裁判は誤審はあるものの人が判断するシステム、経営もプログラム化せず経営者の感性で決断できるから破綻もあるし成功もあり、それで社会が安定し経済が発展してきた。

人が裁くから誤審があり、誤審による死刑もある。しかし、中世の魔女裁判の復活へとGoogleは向かっているように思えてならない。
それは人類が魔女裁判を望んでいただけであり、Googleはそのシステムを提供しただけだ。その責任は無い
とでも言うのだろうか?

2012/05/14

未来の幸せと交換する悪魔との取引

保健所長をやっていると飛び込みの依頼が来る。聞いたことも読んだこともない情報誌。無視していると懇願の電話が何度も来る。公益法人でもないのが気になるが責任感から書いてしまった。届いた冊子を眺めるとどうも広告からの収入と若干の義理によるであろう購読者で成立している情報誌のようだった。久しぶりの原稿書きを経験させていただいたことに感謝し、以下に掲載する。
愛煙家にとっては肩身の狭い時代になっている。飛行機に乗っても、タクシーに乗っても、新幹線に乗っても、職場でも、繁華街を歩いても、ランチタイムのレストランでも、夜の宴席でも、海岸の砂浜でも、家にたどり着いても、旅行先のホテルでも、禁煙を強いられ、あるいは籠の中の鳥さながらの喫煙ボックス 
喫煙者を見る世間の目はどこか冷たく健康診断の場でも受診しても生き方を否定されるが如く喫煙を諌められる。身銭を切って買う煙草のパッケージには健康に害があると表示され、追い打ちをかけるかのような煙草増税による値上げ 禁煙への誘惑も強い。禁煙に効果のある内服薬も開発され、その医療費は保険適用になり、懇切丁寧な医師によるサポートまである。この苛酷な環境の中で喫煙を継続できるのは神か悪魔かと思っていたが・・・ 
2011年8月のJTによる喫煙者率調査では成年男性の33.7%が喫煙しているとのこと。実に3人に1人が未だに吸っている。5割を切ったのが10年前だから100名の集団に換算すると50名の喫煙者のうち17名だけが禁煙したに過ぎない。33人は未だに信念強く煙草を吸っている。 
いまの一服の紫煙がもたらす束の間の幸せとこれから訪れる未来の幸せ交換が喫煙か禁煙かの岐路になっている。死刑囚への最後の一服ではない、成年の3人に1人は未来との幸せ交換をしている。 
話は喫煙だけではない。健康管理のためには、毎日の充分な運動、適切な食習慣、適度の飲酒、ストレス解消のための充分な休息と睡眠が必要なのは誰もが知っているし理解もしているが、全ての人々がそれを実践しているとはいえないのは、この悪魔の取引とも言える未来の幸せ交換をしているのだろう。 
一方、災害対策では自助・共助・公助が提唱され自らの命は自らで守る重要性が再認識され始めている。団塊の世代が高齢者グループ入りする超高齢化社会到来が秒読みを始めた今、医療福祉介護分野で自助・互助・共助・公助が唱えられ始めている。大規模災害や超高齢化社会での公助の限界を自助あるいは家族・隣近所などの社会の仕組みで超える新しい枠組みが模索されている。 
そういえば、あれほど叫ばれていた禁煙対策がいつの間にか受動喫煙防止対策へシフトしたのは、喫煙者が受けるだろう健康被害は自己責任と切り離し、優先すべきは非喫煙者に健康被害を与えない最低限の環境作りがより重要だという認識が定着したからかもしれない。 
自らの命は自らが守る、自らの老後は自らが考える、自らの健康は自らが作る、新しい意味での自己責任論へという流れが長期的な視点から見えてくる。 
その観点から眺めると最後のチャンスかもしれない。公による生活スタイルへの積極的な働きかけが未だに残っている。それは特定健診や事業所検診でのメタボリック対策としての検診後の保健指導である。未来の幸せ交換という悪魔との取引をしないためにも、自らの生活スタイルを見直せる最後のチャンスを是非活かしていただきたい。
この原稿のヒントは、健康生活を損なう嗜癖行動は将来的な夢が無い人による刹那的な欲望処理とした最近の報告書をヒントに書いたものです。今の時代、夢を抱ける時代かどうか、それに目を向けず健康21でいくら説いても民は動かない。