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2015/07/03

2015/7/3(金) まとめ

今日は噴火翌日の土曜出勤の代休の日

湯河原腸チフス事件に学ぶ


1976年に卒業して初めて配属されたのは厚木保健所だったが、その所長は1975年の100名を超える水系感染の湯河原腸チフス事案の陣頭指揮をとった鈴木忠義先生だった。

鈴木所長は私の母校の先輩でもあり、そのときの話をよくしてくれた。いまでも記憶に残っているのは、

電話が鳴り続け保健所はあたかも戦場のようだった。増加する患者に対応すべく部下や関係機関への命令や指示依頼は躊躇なくしなければならなかったが、そのメモを所内の中央に置いている棒に刺していくことにした。
これがその後とりまとめるときに非常に役にたった。日付が無いメモも時系列に刺されているので前後関係が分かる。大規模事象が起きたときには取り敢えずメモだけは散乱しないよう単に刺していくだけでも充分だ

日記終了


私も今回の口永良部島噴火に伴う保健所の動きを保健所長の視点からまとめる必要があることは噴火後数日を経て実感し、記録として残すことにした。

時代は40年後である。インターネットの時代であることから紙に記載するメモという記憶の整理ではなく、屋久島保健所長日記というブログ形式でとりまとめることにした。リアルタイムに更新しながら内容は随時推敲しりライティングをし公開に問題ないように配慮したが、まだその点については推敲の余地は残っている。

ここ一週間ほどは口永良部島噴火対応というよりも保健所長の日常業務の日記に近くなってきた。

また、来週は通例である保健所屋久島町保健師等連携会議は開催されず翌週になるなど、一定の口永良部島噴火対応も安定期に入ってきた。
今後の流れは屋久島町が実施する全戸訪問、それを踏まえての県精神保健センター長による指導助言、それに基づくフォローアップなどがあるが、県担当者による予算的な配慮も頂けることになり、解決しなければならない課題は無くなった。

この日記を口永良部島噴火対応にのみにスリム化するのではなく、MERSや腸管出血性大腸炎そして医療構想などのトピックも残すことにしたが、これは保健所長の日常業務の一端でも公開できればとの思いからである。

ここに書ききれないここ一週間で起きたトピックは犬による咬傷事故、多頭飼育の飼養犬の放し飼い、結核の接触者健診など県民の生活面特に健康面からの安全確保に責任をもって対処していた。

総務省が主導したと思われる保健所長は医師でなくともできるという規制改革は、現時点では幸いにして未だ非医師の保健所長がいないが、今回のような口永良部島噴火対応など健康危機管理で非医師が陣頭指揮をとれるのだろうか、甚だ疑問である。

追記


県保健福祉部下村次長が来島し慰留されたことから来年3月まで勤務することにした。

2015/07/02

2015/7/2(木) 達成度の低さ高さ

今日も屋久島保健所勤務の日

今日は3回唸った


内容は達成度の低さだけなので、敢えて日記に記載することはしない。

しかしながら指導しても改善可能性が見えないときの対応には苦慮する。
身体障害者に限らず精神障害者にも広く社会参加させるのが国民の合意。人はすべからく社会参加する権利があり、その能力の限度において社会参加の場を提供すべきである。いわゆる排除の論理は選択すべきでない。
私にできるのは適材適所しかないのか

腸管出血性大腸炎の疫学調査の結果が出た


新人保健師が可能性について言及した奥さんが健康保菌者じゃないかとの仮説は外れ、奥さんの検便検査は陰性だった。

あらゆる可能性を推察し結果を見て経験として積み重ねることは技術屋を成長させる。 
やはり腸管出血性大腸炎の孤発例に関しては感染経路究明は難しい。

2015/07/01

2015/7/1(水) 池田県医師会長が避難所訪問

今日は臨時の屋久島保健所勤務の日

さすが県を代表とする県医師会長


15時からの池田県医師会長に同行するために屋久島入りすることにした。

本来は民間団体の活動に行政が便宜供与するにはそれなりの公益性が必要だが、口永良部避難者のための町への義援金の贈呈と避難所訪問は充分すぎる公益性があると判断しての同行である。
仲熊毛郡医師会副会長も屋久島町役場から避難所訪問まで池田医師会長に随行していただけることになり、保健所長としては脇役になれたことが今回の医師会への便宜供与に一定の担保ができたことに一安心

さすが県を代表とする医師会長、避難所では島民に声をかけ慰問するかのようにひとりひとりの生の声に謙虚に真摯に傾聴している姿には頭が下がった。

いろいろな方の避難所への同行をしたが、ある方は避難者に声をかける気配もなく旧知の人と歓談したり、遠慮からか遠くから避難者を眺めて声をかけられなかった方など様々だったが、今回の池田医師会長は避難者の側に寄り添いその想いを真摯に傾聴したのはあたかも天皇陛下の慰問を彷彿させるようで初めての体験だった。医は仁術それを実感した。

同行した保健師も既に顔なじみになっており気さくに避難者と会話していた。

2015/06/30

2015/6/30(火) 腸管出血性大腸炎の孤発例が発生

昨日の17時頃に南種子町で腸管出血性大腸炎O121の届け出があり、担当が現地に赴き調査および疫学調査の一環で同居者の便を採取した。

今朝その報告を聞いた


今回の事例は孤発例であり、家族は2名の夫婦世帯、食事は外食や仕出しなどは皆無、毎日自家栽培の野菜と釣ってきた魚、料理方法は生野菜は固いので全て加熱している、魚も加熱している、一度だけうなぎの蒲焼を食べたがそれも再加熱して食べた。

生野菜は大根おろしのみ、自家栽培の野菜の肥料には堆肥などは使っていない。まな板は2枚あり、一枚は魚専用。

調査は万全、このまま通例の原因不明の孤発例かと考えていたら、卒後4年目の新人保健師が、奥さんが健康保菌者の可能性も否定できないと発言した。

部下も仕事を通じて成長していっくこと頼もしい限り

2015/06/29

2015/6/29(月) 地域医療構想に綻びが見えた

今日は通常どおり西之表保健所勤務の日

結論ありきの地域医療構想にならないために


厚労省が示した地域医療構想はこれから迎える少子高齢者時代を乗り越えるための重要な処方箋のひとつだ。青写真はしっかりと作られ、厚労省の合意形成の手順にもぬかりはない。
難点は施設医療から在宅医療に押しやられる人々に対しての地域包括体制が構想どおり機能するかが疑問だが、これはこれからの行政および地域力に期待するしかない。

県保健福祉部からの指示に従い、委員の選定に当っては公平性に基づき充て職による任命をしたが、熊毛医師会長の意向もあり、病院だけでなく全有床診療所の懇話会への参加を要請された。病床数の議論をするなら広く懇話会を開催することにやぶさかでないことから、委員ではなくオブザーバーとしての参加にした。

これで、熊毛地区では病床を持っている医療機関はすべて懇話会に参加できることになった。

今日、ある委員から辞退届けが提出された。その委員の気持ちは痛いほど分かる。厚労省が膨大な情報を整理し日本の医療が目指す将来を描く絵に対して意見の出しようがあるのかの問いかけだろうかと推察するも医師会事務局に情報を伝え、対応を委ねることにした。


2015/06/26

2015/6/26(金) 8月末で身を引くのに問題無し

県障害福祉課の担当者が来島する


担当者は精神保健のスペシャリストで技術屋である。一日も早く屋久島入りしたかったが、一月近く経過したいまやっと来島できたことを喜んでいた。

今回の来島には県保健福祉部長の了解を得たと言を受けての晴れての出張

保健所屋久島町保健師等連携会議


今日は、毎週定例となった保健所屋久島町保健師等連携会議の日で、来週から始まる避難者全戸訪問と第二回こころのケア対策会議を8月上旬に行う方向で調整することになったとのこと

また、県障害福祉課対策監からも被災における活動についてのレジメがあったとのこと

西之表保健所からの統括保健師(昔の保健婦長)の屋久島支援も一定の安定期を迎えたいま、来週からしばし屋久島保健所保健師に委ねることになった

業務上からも災害支援安定期も近いことから8月末に身を引くことに問題無し


6月末の辞職通告を撤回し7月末で伝えていた辞職打診も県の人事上の都合で一月延長の8月末にすることで県保健福祉部と一昨日合意したが、それを後押しするかのように8月末での業務に一定の目処が立ってきた。

水の流れに逆らうこと無く身をゆだねると意外にものごとはうまく進むこと今更ながら実感


2015/06/25

2015/6/25(木) 県医師会から連絡がある

今日は予定通りの屋久島保健所勤務の日

県医師会長が7月1日に来島


鹿児島県医師会長が7月1日来島し義援金の屋久島町への贈呈と避難所視察をしたいとの連絡がある。医師会長に屋久島で診療所を開設している熊毛地区医師会副会長の同行の内諾を得、その旨伝える。

屋久島町への連絡は医師会事務局が行っていると思われるので、保健所長としては避難所視察に同行し避難者に対する医療について説明をする腹積もり

7月1日は種子島で決算監査があったので保健福祉部長に欠席の連絡をする

休診中の口永良部診療所の医師


地方ニュースで口永良部診療所の医師が仮設住宅の避難者宅を訪問し市販薬を手渡している映像が流れていたと報告がある。

屋久島の医療は崩壊していないので島内の病院でも診療所でも受診すれば適切な診察と検査を経た上で必要なら医師処方薬が提供される体制になっている。 
気持ちは痛いほど分かるが果たして合理的かどうかも含めて悩むところである。薬務担当者に法的に問題はないか確認するよう指示する。



2015/06/24

2015/6/24(水) MERS会議があるも大きな動きはない

今日も西之表保健所の勤務日

MERS会議熱心に意見交換


種子島MERS対応調整会議が15時から開催された。韓国の事象を踏まえているためか、公立種子島病院も田上病院も4名づつの参加と関心が高かった。

熱心な質疑応答を経て最終的判断として種子島地区においてMERS対応措置訓練を秋口を目処に実施することにした。基本的な対応は新型インフルエンザを踏襲するものから、その方向で措置訓練の実施を指示した。

県障害福祉課から担当者が屋久島入りの連絡


県障害福祉課から対策監が今週の金曜日に屋久島に来島することになった。県保健福祉部からの屋久島入りは部長を筆頭に獣医、食品衛生専門官、次長に次いでの来島である。

現場を知って頂けるだけでも保健所長として嬉しい限り

2015/06/23

断捨離ミニマリスト遺品整理

いわゆるゴミ屋敷問題は精神病学的に眺めれば断捨離思想と表裏一体のものと思われる。

僅かでも価値があるものを捨てられない生き方と、生きる上で必須でないものを整理する思想は、ものに価値を認めている生き方という意味では同じ病根に根ざしている。

しかし、断捨離そして突き詰めたミニマリスト志向は他者から見ると迷惑をかけないという意味で美しさにおいて優っている。

父親が死去した後、母親は数ヶ月に渡り、夫の遺品を自動車や船舶など価値あるものは必要としている人に分け与え、膨大な写真や書籍などの残りは野焼きをして黙々と整理をしていた。整理するときの母親の思いはその辛さは如何程のものか想像に難くない。
同じ思いは、母親が突然の脳出血に倒れた折の膨大な和服の処分、掛け軸、陶器、金杯などの整理をしたとき、自らがその辛さを味わった。

遺された者にとって遺品整理はどれほど辛いものか、思いがあるほどその辛さは大きい。

いま、私は箸の一本に至るまで整理しようとする病的なまでの断捨離を行おうとしている。その覚悟が決まれば不思議と気持ちがすっきりとした。

2015/6/23(火) 要請に応じた支援に静かに移行

今日は西之表保健所勤務の日

7月6日の週から屋久島町は全戸訪問か


来月6日から心のケア対策の一環で、保健師による避難者の全戸訪問をする方向とのこと。今までは避難所に在所している方々を必要に応じて随時フォローアップしていたが、被災後安定期を迎え、一部は住宅に入ったことから全戸訪問というスクリーニングを行うものと思われる。

屋久島町には長島町から保健師の派遣の打診もあったとのことで、この全戸訪問の時期にあわせるのもいい。保健所も町から協力要請があれば全面協力する予定だ。

保健所の技術支援としては全戸訪問の際のチェックシート案を環境適応障害を中心にして作成しているが、生活支援を含めたチェックシートを作るかどうかは町の方針

いずれにせよ、保健所は要請に応じた支援に徹することを指示した。

精神保健センター長の日程は7月は10日しか空いていないとのこと、センター長は屋久島支援に積極的だが日程が詰まっているので、町と調整可能か不安

種子島のMERS対応の会議は明日実施


感染症病床のある2病院から6名の参加を得た会議を明日開催することになり、その資料と方向を打ち合わせをした。



2015/06/19

2015/6/19(金) 必要な支援から要請された支援へ

町介護衛生課長と面談する


被災直後の急性期から徐々に安定期に入ってきたようだ。
来週から一週間は、保健所からの保健師の派遣支援に頼らず町の保健師だけで対応できる見込みであること、 
屋久島徳洲会病院の特設外来も利用者数を見極めて屋久島島民と同じように開放する方向で検討していること、 
避難者は心身とも現時点で健康であり病人ではないとの思いもあることから、行政がこころのケア対策として積極的にアピールするのは控えたいこと、

屋久島町民である避難者対応は、最終的には屋久島町が主体となることから、保健所は既存の精神保健相談の窓口の充実、要請に応じた精神保健の専門家の派遣、いま以上の保健所と町との連携充実を進めることにした。

屋久島町が行う心のケアニーズの把握のための訪問や1か月、3か月、6か月の介入も専門家の意見を踏まえた上で、適宜支援をしたいが、そのためにも、町において島内の専門家を集めた心のケア推進懇話会などを設けるのが町主体の事業展開ができるものと助言した。

屋久島は被災しておらず機能は損なわれない。急性期から安定期へと向かっていることから、保健所は必要な支援から要請に応じた支援へと切り替える時期が来たと思う


2015/06/18

2015/6/18(木) 被災していない屋久島の医療

種子島の脳外科医問題


田上病院長から種子島の脳外科医問題について問題提起があがったと屋久島にFAXが来る。

今年の4月から鹿児島大学からの脳外科医派遣が減ったことに伴い、種子島での救急医療体制の再構築が求められいることについて、熊毛支庁の基本的対応についての意見を求められたとのこと

この課題は、二次医療圏における救急医療体制の構築であり、関係市町との合意の上で、慎重に対応しなければならない難しい課題である。

来週早々から積極的に調整に入らざるを得ない

口永良部診療所の医師


避難者に対して診療所の薬剤が戻ってきたら薬を処方できると説明しているとの情報が入る。

屋久島の医療は被災しておらず住民に対しての医療の提供に問題は生じていない。避難者も島内の既存の医療機関に自由にアクセスできる環境になっている。

気持ちは十分に理解できるが、緊急避難としての医療の提供の状況にないことから、医療法、医師法、保険など関係法令に遵守することが求められていることから、保健所薬務担当者に法令上問題がないか確認するよう指示

口永良部診療所は噴火に伴い休診状態になっている。診療に従事させるためには、厳格な法令遵守を求めるなら他の町立診療所に配属させるなどの対応が身分保障などから必要となってくると思われる

2015/06/17

2015/6/17(水) 情報は秘匿するのではなく共有されてこそ生きる

情報は共有してこそ生きる


私の基本的な業務姿勢は情報は秘匿するのではなく、広く共有してこそ生きるである。隣の島の屋久島で起きていることを可能な限り西之表保健所の保健師にも伝えるために1時間ほど話をした。


  • 屋久島の保健師ニーズは収束に向かい、保健所保健師の連日投入から隔日投入になったこと
  • 屋久島町への支援も健診センターの健診業務への看護師派遣など支援が徐々に増えてきている
  • 西之表保健所からの保健師支援は統括保健師のコーディネート機能のみで実働は現時点は不要である
  • 避難者に必要なのは、いわゆるPTSD対策よりも環境適応障害の見守りであり長期的スタンスが必要である。保健対策よりも生活支援など幅広い支援が必要


2015/06/16

2015/6/16(火) 種子島のMERS対応指示し屋久島は県健康増進課へ

昨日、部下に翌火曜日に田上病院におもむき、MERSに限らず発熱外来の設置検討と外来受付に二週間以内の帰国者の発熱者は保健所に連絡する旨の掲示することを助言するために訪問させた。

田上病院長は理解を示したとの報告を受ける

同じMERS対応は屋久島も必要だが、屋久島には徳洲会病院があるものの、なぜか感染症病床が無く、MERS疑似症どころか新型インフルエンザ患者も入院できる施設がない。隣の種子島には田上病院2床と公立種子島病院2床あるのに、1万4千人の屋久島には無い。

保健所としての対応を検討する以前に、県健康増進課としてどのような対応をとるのか投げることにした。

案としては県保健福祉部指示による自衛隊ヘリ等による島外移送、島内の一般病床に入院させる緊急避難措置などがあるが、一保健所長としては判断できない 




2015/06/15

2015/6/15(月) MERS対応で田上病院長から叱責を受ける

代休を取っているものの溜まっている西之表保健所の決裁をするために登庁する。

医師しかできない保健所長業務以外に、会計上の決裁など部全体の主務課長としての事務的決裁は、今回の事態に対応し課長補佐に代決するよう指示していたので、決裁書類はかなり少なくなっていた。

午後には一段落して家で仮眠していると、メールが届く。田上病院長から叱責の電話があったとのこと。今回の韓国の事象に応じたMERS対応が保健所として遅いとのお叱りである。

15時、田上病院長に面談のために訪問し、MERS対応の種子島島内の役割分担などのネゴシエーションを早急に行う旨の返事をし、部下に公立種子島病院と田上病院との連携と住民向け広報策を検討し、一週間以内に会議を開催するよう指示する。

田上病院長である高尾先生は昨年鹿児島大学第一外科教授を退職されて離島の基幹病院である田上病院に着任された幅広い視野を持った危機管理にも感度がある尊敬できる先生である

2015/06/12

2015/6/12(金) 反応は芳しくないが打つべき手は打っているはず

未だに、喫緊の課題である心のケア対策の青写真が描けないが、日々変化する状況に対応し、着実に思いを町に伝え、部下に伝え、熊毛支庁に伝えてきた。

振り返るに、5月29日の噴火以来の15日間、屋久島勤務は土日を入れて12日間、西之表勤務は1日のみの2週間余だった。クールダウンの必要もあり、明日からの2日間は土日で休み、翌月曜日と火曜日は代休を取ることにした。

留守にしていた西之表では保健所長不在の穴埋め業務が待っていたのが、後日分かる

2015/06/11

2015/6/11(木) 県保健福祉部次長来島

県保健福祉部上層部の来島は、10日前の6月1日の県保健福祉部長以来のことだった。

町副町長との面談、徳洲会病院長への表敬、町介護衛生課長および町健康増進課長との面談以外に、保健所への来訪は初めてのことなので、2時間余の時間をかけて現状と今後の課題について説明をした。

口頭では、離島兼務の保健所長は噴火以来西之表保健所への勤務は一日のみであり兼務の厳しさを伝えるとともに、長期的展望にたった保健師ニーズの増強を伝えるほか、保健所機能としての精神保健相談を毎月実施とすることを要請するも快諾は得られなかった。

町への保健所保健師への連日派遣は、町保健師と保健所保健師二名の避難所派遣は交互派遣に切り替わり、町も保健所も負担軽減となっていた。
また、健診機関の支援としてがん検診などで健診機関側が看護師を増員し町の保健師の負担を軽減する方針が伝えられていた。確実に町への支援が増えてきている

口永良部診療所の医師が保健薬を避難所に配布


避難所の医療は屋久島の既存の医療機関で十分に対応できると判断し、徳洲会病院は特設外来を設け受診しやすい環境を整えてきたが、市販薬である胃腸薬などを購入し避難所に配布しているという情報が入る。

薬剤師に指示し、配布された市販薬が子供の手の届くところにあると、不測の事態も想定されることから、適切な箇所に保管されているかどうかを確認し、指導するよう指示する。



2015/06/10

2015/6/10(水)県保健福祉部次長が現地入りとの連絡

種子島に戻ろうとしていたら、明日、O次長が屋久島入りするとの連絡が入る。

獣医、薬剤師、食品衛生、栄養士、感染症対策の観点からの現状と課題をまとめた次長向けのレポートを作るよう指示した。

と同時に、一番の喫緊の課題である心のケア対策についてのレポートをまとめた。その内容は、既存の保健所事業である精神保健相談の充実、県精神保健センター長の継続的技術指導の実施、西之表保健所からの保健師の継続的支援などの予算的配慮要請をまとめた。

屋久島は精神科病院は無く、常勤の精神科医もいない離島であることから、保健所では本土から精神科医を招聘し隔月に精神保健相談を実施している



2015/06/09

2015/6/9(火) 県精神保健センター長による報告会

午前中は、精神保健センター長は避難所三箇所を回り、基礎疾患を持っていた精神障害者の家族への個別面談アドバイスなども行いつつ、避難所での健康管理上の課題なども把握していただいた。

午後は、町介護衛生課長も入った報告会が開催され、いわゆる被災後トラウマなどのPTSDへも注視しつつ、環境適応障害などに配慮した1か月、3か月、6か月、12か月での対策が必要と報告した。

現時点では全避難者に一律に介入する緊急性はないが、必要なスクリーニングをした上での介入は必要だとの見解が示された。

2015/06/08

2015/6/8(月) 口永良部心のケア対策検討会議

県精神保健センター長を迎えての保健所主催の『こころのケア対策会議』は、業務に多忙な町介護衛生課長、健康増進課長に保健師および口永良部診療所の看護師など10名を超える参加者が集い、予定時間16時から17時半が延長され18時まで熱心な意見交換の場となった。

会議終了後も1時間近く保健所保健師と町保健師など関係者が自発的に熱心な意見交換していたようだ。

今回の会議設定は、町と保健所が精神保健センター長の参加を得て、今後の円滑な連携が期待できる大きな成果を得たと評価できるものだった

2015/06/05

2015/6/5(金) 精神保健センター長の承諾そして

精神保健センター長に行程表を送付


この行程でOKの返事が来る。屋久島入り当日、こころのケア対策会議の前に避難所を外からでもいいから見てみたい、町の職員の過労にも助言したいとの希望がある

現地入りを要請する


県議会が翌月曜から始まることもあり今週末に来島するのがラストチャンスとの判断から、口永良部対応のための保健所支援要請について、屋久島現地視察と保健所長からのヒアリングを求める要請文を送るも、部下を通じての伝言が返事だった。

国立保健医療科学院と人を介してコンタクト


保健所が直面する健康危機管理としては100名規模の避難者対応としての事象は、支援場所が被災している大規模災害の311震災などとは違うアプローチもあることから、国立保健医療科学院健康危機管理研究部長の介入の諾否を問うも、電話で全部を伝えるまでもなく途中で遮るように終わった。



2015/06/04

2015/6/4(木) こころのケア対策会議の開催決定

精神保健センター長を迎えるにあたっての、応援に来た保健師が作成した企画案はなかなかのものだった。

6月8日16時から開催するとした『こころのケア対策会議』は精神保健センター長を中心に町の介護衛生課長、健康増進課長、保健師、口永良部診療所の看護師などが入る広く関係者を集めたものだった。

町側が悩んでいること困っていることなどを中心として精神保健センター長が助言指導する会議になることが期待できる

翌9日はセンター長は朝から避難所を回り、避難者と面接相談をおこない現状を把握した上で、午後の報告会では、今後の方針や注意事項などのアドバイスを保健所および屋久島町に対して行う場も設けることになった。

この企画案で基本進めることにし、会議資料を作成し、可能なら心のケア対策の今後の青写真も検討することになった。

2015/06/03

2015/6/3(水) こころのケア対策のために手をうつ

心のケア対策のための支援要請


具体的内容は避けるが、口永良部避難者対応のための課題は、離島間の高速船を使っての保健所長兼務、保健師、心のケア対策のための事業である。

通常業務を行うだけの従来枠の予算および人的体制だけでは、新たに生まれた心のケア対策に対応するには万全とは言いがたいことから、当然の要請であったと思い、現地の状況を踏まえた上での意見交換、それなりの支援を期待していた

県精神保健センター長に指導助言をお願いする


昔の保健所は地域完結系の機能があったが、地方衛生研究所および精神保健センターの充実とともに、それらの保健所機能が専門的機関に集約され、保健所への技術支援をする形式に変わってきた。 
つまり、保健所はその専門機関の技術的バックアップがあるからこそ地域の健康を守るセンターになりえるという構図となっている

6月8~9日に精神保健センター長の被災急性期での現状把握が必要との判断もあり保健所の要請に応じて屋久島に入ることになった。

西之表保健所から2名の保健師が応援に入る


屋久島に入った統括保健師にプラスして精神保健担当の保健師がこころのケア対策の企画立案のために西之表において応援に入る。

県保健福祉部の精神保健担当に連絡


今後、県保健福祉部担当部局の協力も必要となることから精神保健センター長が屋久島入りする旨の連絡をする

2015/06/02

2015/6/2(火) 本格的な心のケア対策が喫緊の課題

人口150人ののどかな離島の離島での生活基盤の島を突然追われ、人口1万4千の世界遺産の観光の島に臨時的にせよ強制移住させられている避難者に必要になってくるのは、こころのケア

あまりにも大きな環境の激変であっても生きるという生命力から最初の数週間は持ちこたえられるが、その後、徐々に環境に適応することに困難になる事例も出てくることが想定される。

屋久島町長からも『こころのケア』についての支援申し入れがあり、早急に仕組みや体制を構築しなければならない。

あれこれ考えていると、屋久島町の介護衛生課長から電話が入る。

『カウンセリングのボランティア申し出があった』


町立診療所のドクターに尋ねたら、いいじゃないかとのことだが、どうだろうかという問い合わせだった。保健所は未だに心のケア対策の青写真さえ提示していないことから、ボランティアの申し出を断る理由付けが難しいことから生返事をせざるを得なかった。

後日、そのボランティア申し出は県警カウンセラーからだったようで、組織、資格、継続性などの観点から安心した

こころのケアという大事なポイントについては行政が責任をもった対応を早急に打ち出さなければならないと痛感し、支援要望書を明日にも出すことにした。

2015/06/01

2015/6/1(月) 感謝と怒り

県生活衛生課から支援の申し出


県生活衛生課担当から素手でオニギリを握っているので食中毒の予防の啓発をするよう担当に助言がある。

保健所長である私には、本課職員の派遣など保健所支援の打診があり、明日火曜日から獣医と食品衛生専門家が来島することになる。

県生活衛生課の動きは素早く的確なのが嬉しいし、現場の指揮官である保健所長としても心強い。その後、生活衛生課有志によるドリンクの差し入れが届き、職員は心から喜んでいた。

鹿児島県知事屋久島入り 


当日の午前、鹿児島県知事が現地視察しており、避難者の声を聞いて頂いていた。後で知ることになるが、その知事随行に県保健福祉部長も来島していた

西之表保健所に戻る


西之表保健所業務のために16時発の高速船で屋久島を離れ、17時に西之表保健所に戻ると直ぐに、

地域保健福祉課長が『屋久島に派遣する保健師は統括保健師でなく誰其れにするよう指示があった』と伝言された。

17時半頃、熊毛支庁の保健福祉環境部長から屋久島の課長代理に『西之表からの派遣は3日からで誰其れになった』と通告された旨の報告が私に入る。

現場の指揮官である私に激励の言葉と必要な支援を尋ねてくれるものと期待していたが、

最初の連絡が伝言であり、その内容が私の職分である部下の出張であ、保健所の保健師の誰を派遣するかというあまりにも現場実務に関する職務権限に伝家の宝刀の指揮権発動をした。

2015/05/31

2015/5/31(日) 医療の確保と避難者のサポート策を講ずる

今日は噴火二日目の日曜日

避難所三箇所


鹿児島日赤こころのチーム10名弱が既に入っているが明日月曜日に帰るとのことなので、明日の15時、町と保健所への引き継ぎを依頼

心窩部が痛いという体調不良者がいることを確認。久保先生はこころのケアという位置づけで巡回しているとのこと、町立診療所の堂嶽先生と三宅先生は明日から交互に健康相談に入るとのこと

被災ということで避難所に対して支援が入っていることから、それをサポートする町の保健師ニーズへの保健所からの支援が取り急ぎ必要と判断

徳洲会病院『口永良部避難者特設外来』


口永良部診療所は休診状態になっているが屋久島の医療機能は100%問題無い。つまり1万4千人の人口が100名余増えた状態が今の屋久島 
いま必要なのは避難所生活している方々への医療の提供であり、医療機能も損壊された311震災とは違ったアプローチが必要

避難所生活は通常の住宅生活と違いプライバシーの確保も含めて、その病態や治療方針に影響を及ぼすことから特設外来の設置が必要と山本院長と意見が一致した。

明日、月曜日9時から『口永良部避難者特設外来』を設け、専任の看護師を付けた上で、円滑な受診体制を整えるとのこと

保健所から保健師を連日派遣する約束をする


屋久島町の保健師は今年の4月から一名減員となっているところへの今回の災害。町の保健師ニーズが増えることから保健所の支援が必要と判断

屋久島保健所には三名、西之表保健所には四名の保健師がいる。私は2つの保健所を兼務しているので、保健所長権限だけで連日派遣することが可能と判断し、町当局に申し入れたところ即答。後日、正式の依頼文を出すことになる。

屋久島保健所の保健師に相談し派遣計画を作成指示、最初の週の5日は屋久島保健所三名がローテートする、残りの2日は西之表保健所に依頼するとのこと

西之表保健所の統括保健師(昔の保健婦長)に相談したらウェルカム、来週の木金の2日の派遣を依頼した。最初は熊毛地域の統括保健師である自らが現地に入りたいとのこと
所属長権限だけで決定できる部下の出張命令であること、屋久島町への支援を急ぐのも当然のこと、屋久島町当局も受け入れ快諾 

結局、厚労省のチームは入らなかった


県の危機管理局から厚労省のDMATチームから現地に入りたいとの連絡があり受諾した。DMATチームは訓練されているので町側に迷惑をかけることはしないからの判断でありDMATチームもこれが経験となればとの思いからだった。

翌日、再度、連絡があり現地がいま必要なのはDMATではなくDPATと判断したので、DPAT派遣について直接現地担当者に接触させて欲しいと要請された。現地にいる保健所保健師の携帯の電話番号を教えた。

結果論から言うと、日赤のチームは翌土曜日に現地入りしニーズ把握し月曜日に帰るという迅速な対応をした。一方、厚労省のチームは日曜日に打診し月曜日にDPAT打診するも空振りだったようだ。
災害派遣はニーズ把握も含めた迅速な対応が現場では求められている

2015/05/30

2015/5/30(土) 待つ

保健師2名、獣医と薬剤師を現地に派遣


口永良部診療所の毒劇薬麻薬などの保管状況をヒアリングするために薬剤師を派遣、口永良部に残置された犬が何頭いるのか聞き取り調査に獣医、町保健師との連携支援の受け入れ可能性を探るために保健所保健師2名を派遣する。

町の保健師からは、少なくとも一週間は避難者の顔も知っているので頑張れるだけ頑張りたいとの思いが伝わる。
獣医は口永良部の残置犬が何頭いるのか避難者に対して聞き取り調査に入り、避難した犬のドッグフードなどを提供をした。

県保健福祉部からの動きは



昨日に続いて医療整備課長から口永良部診療所の先生の安否確認を求められた。バタバタしている町に問い合わせをし安否確認をした。

その後何故安否確認を求めたのかと確認したところ保健師の噂として体調不良と聞いたのでとのこと。体調不良は噴火当日開催予定の医療専門委員会の出席キャンセルの理由が体調不良だったのが噂として県に届いたのかと推察 
噴火から一日経過するも期待していた県保健福祉部上層部から保健所長に対しての連絡は無かった。保健所長の職分だけでできることをこの土日で最大限行う覚悟をした。

国の担当副大臣が現地視察に入ったのは噴火翌日の今日。県も支庁長が現地視察に入った。

2015/05/29

2015/5/29(金) 所長!口永良部が噴火しています!

5月29日、今日は兼務している屋久島保健所の勤務日だ

そして今日は屋久島町医療専門委員会の日


今夜の19時から屋久島町長を会長とした『屋久島町医療専門委員会』を開催することになっており、全医療機関が出席するため保健所そして町として大事な会議の日だった。

栗生診療所の三宅先生からの在宅医療に関する提言が話題の中心になるのかとあらかた決裁を済ませた10時頃、所長室であれこれ考えていた。

この委員会は屋久島町の介護衛生課、健康増進課、屋久島保健所そして屋久島町の全医療機関の医師が集まり、行政側からは今年度の新規事業を含めた施策の情報提供と説明そして医療機関からは専門的見地から意見を出していただく会議であり、事務局は保健所が担っていた。 
ああそうだ、事務局を屋久島町に移行させるのも懸案だったと考えていた瞬間

『所長!口永良部が噴火しています!』


何を大声で慌てているのかと、所員がいる執務室に行くとテレビの前に集まっていた。時間は10時10分頃

屋久島町商工会の会長が就任の挨拶に来ていた。彼も挨拶するのを忘れ映像に見入っていたが我に返り商工会事務局に去年入った元南日本新聞の記者とともに名刺交換をした。
安斎前会長と私との接点は屋久鹿の食肉処理工場の建設についてだった。

NHKの噴火映像で、避難者が集まっている番屋ケ峰、噴火に伴う被害者がいるのかどうかなど情報を把握していると、6年前の既視感におそわれた。

これも運命、6年前の新型インフルエンザが発生したとき私は厚労省の中部空港検疫支所長をしておりその陣頭指揮をしていた。
そのときの再現を予感したが、まさかそれ以上の事態を迎えるとはこのときは想像だにしていなかった。

医療専門委員会の中止決定


情報源はNHKのテレビだったが、それでも異例の報道体制で延々と19時頃まで口永良部の噴火のみでしかも生中継なので情報の入手に不足は無かった。

健康被害は体調不良と軽度の火傷、ヘリコプターによる屋久島徳洲会病院への移送、全島民はフェリー太陽で屋久島へ、などの報道でトリアジューを中心とした救護所の設置などで病院と医師会の調整は不要と判断した。

後日、確認したところフェリー太陽に町立診療所の医師二名が乗り込み避難者の健康確認(トリアージュ)をしてから降船をさせたとのこと
火傷軽傷の報道があり続報が無かったので入院などはしていないと思っていたが、後日、屋久島徳洲会病院長と面談したとき、咽頭内部までの熱傷はなく重度は2度と軽いものの入院中であるとのこと。 

10時半頃、部下から今日の医療専門委員会は町側の出席が困難と思われるので中止の連絡をしていいかと指示を仰がれた。

そういえば屋久島の医師全員が集まる会議にこの4月に着任したばかりの口永良部診療所の先生が体調不良のため2日ほど前に委員会欠席の連絡があった。
ちょっと呆れつつ、『中止の決定はいいが委員への連絡は午後からゆっくりとしろ』と指示をすると、『確かに待ってましたと誤解されるおそれもありますね』

部下まで軽いパニックになっている。私の判断もパニックにならないよう自重自重

保健師2名と獣医など2名の派遣


17時頃にフェリー太陽で宮之浦港に全島民が避難し、避難所3箇所に入るとのこと

飼養犬が置き去りされていないか把握すること、町の保健師との連携を打診することのために保健師2名、獣医等2名の部下を宮之浦港に派遣する。

屋久島に全頭避難しておらず犬を放している事例があったと報告を受け、動物愛護法関連の所管責任者として困惑する。

獣医は港で出迎えた後は避難所に出向き避難してきた犬に対してゲージ、サークルやペットフードの差し入れ支援をしてきたとのこと。

保健師を派遣をしたのは町保健師との今後の長い連携の初日なので港に出向いたことで私の目的は達成されていた。栄養士と町との連携ができなかったことは懸念だが、これからじっくり支援できる体制を作ればいいと考えていた。

健康危機管理の観点から24時間対応するよう指示


鹿児島県は対策本部を、熊毛支庁には現地対策本部を設けることになったが、保健所が属する屋久島事務所では噴火当日は保健所長が呼ばれるような会議は無かった。

しかも、明日からは土曜日、まる2日間今夜を入れると60時間、保健所を空にする勇気は私にはなかった。屋久島事務所に出向き保健所も健康危機管理上災害対応に準じる待機をすると通告し、24時間対応の連絡員待機を部下に指示した。

この判断は正しかった。県保健福祉部からは待機していることを当然のように土曜日日曜日に電話連絡してくる。厚労省からはDMATチームの派遣打診が日曜日に入る

当日保健所長に連絡してきたのは医療整備課長


噴火当日の13時頃に『避難者100名だから10名程度の対応ができるよう徳洲会病院に要請してほしい』と医療整備課長から依頼があった。

病院長に要請するまでもなくその程度の対応能力の余力はあるのは当然だが、病院長の携帯に電話をした。返事は想定どおりだった。

振り返るに、噴火した当日に県保健福祉部から保健所長に電話があったのは医療整備課長だけだった。 
厚労省に居た頃には政府対策本部が立ち上がるような緊急事案が発生すると間髪を入れず上層部から現場に激励とどのような応援が必要なのかの電話が入るものだが、危機管理局が統括しているためか、保健福祉部から個別の連絡は無かった。

『観光協会なら対応できるはずです』


電話の会話が耳に入った。一体なにを言っているのかと尋ねると、厚労省の社会福祉関連の担当者が屋久島に急に行くことになったとのことで、宿の確保を依頼してきた、それも一週間ほどとか数名とか曖昧な内容だったとのこと

確かに予約行為は個人の金銭を伴う契約行為なので言った言わないのトラブルに巻き込まれる。

宿の斡旋は観光協会のメインとも言える業務だから、気軽に電話で相談すればいい、旅館業の許認可権限を持っている保健所に斡旋をお願いするのは痛くない腹も探られる行為になる。

2015/02/01

バンコクはスクィンビットでの元旦

年末年始は今年もバンコクにした。

一年前はバンコクの旧市街ヤワラートの喧騒の中で迎えた年末年始だったが、今年はバンコク一番の繁華街スクィンビットを楽しんだ。

ヤワラートを蒲田とするとスクィンビットは新宿と言えばいいのだろうか、超高層ビルが乱立する隣には歌舞伎町がある、

夜は賑やかなゴーゴーバーが密集しているソイカーボーイを元旦の10時頃に訪れると閑散としている中でカフェがオープンしていた。ビールでも飲もうと入る。


ノンビリとお正月を迎える幸せを感じつつビールをオーダーし、ふと横を見ると、おじさんが本を持参と思われるスタンドにかけて読んでいる。



今日は1月1日、しかも昼前なのに、私はビールを飲んでいるものの、横では多分小説だろうと思うが読み耽っている。マイペースというか人の目を気にしない欧米人の気質に感動さえ覚えた。

初詣やら一年の計は元旦にありと緊張感満々の日本と違い、ここバンコクではいつもの一日が始まっている。

スクィンビット通りアソークの隣にはナナという新宿二丁目的な繁華街があるので、興味津々歩いて行った。

元旦なのにバービアも賑やかに美女がたむろしているのを通り過ごし、しばし歩いていると、客待ちの美女がたむろしていないバーがあったので入って、ふと回りを見ると、男ばかり(笑)、しかものんびりと通りを眺めている。

今日は元旦なのに、ここナナもいつもの一日


束縛が全く無いかのような欧米人のマイペースに感動を受けつつ、バンコクには日本人も多いのに私が回ったスポットには一切見かけなかった。

バンコクの日本人は日本の正月をバンコクでも踏襲しているのだろうか?