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2012/06/13

予防接種によるB型肝炎

2010年5月9日、鳩山内閣は和解協議入りした。

B型肝炎訴訟、和解協議入り 政府、勧告受け入れ方針決定【共同通信】(2010/05/09)
集団予防接種の注射器使い回しを放置した行政の責任が問われているB型肝炎訴訟で、政府は9日、鳩山由紀夫首相や関係閣僚による会合を開き、札幌、福岡両地裁の和解勧告を受け入れ、和解協議に応じる方針を決めた。札幌地裁での14日の進行協議で正式に表明する。 
B型肝炎ウイルスの感染者は推計で最大140万人とされ、被害救済の範囲次第では、過去最大規模の国による感染症補償となる可能性がある。原告側は勧告に応じる方針を既に決めており、一連の集団訴訟は最初の提訴から2年余りで解決に向け動き始めた。
首相公邸での会合には、鳩山首相、平野博文官房長官のほか、仙谷由人国家戦略担当相、菅直人財務相、長妻昭厚生労働相らが加わった。


2010年10月15日、補償での増税に言及


菅首相:国民の理解が前提-B型肝炎訴訟補償での増税【ブルームバーグ】(2010年10月15日)
菅直人首相は15日夜、全国B型肝炎訴訟で国が試算した原告らへの補償額の財政負担の財源を捻出(ねんしゅつ)するために増税するには、国民の理解を得ることが前提との認識を示した。官邸で記者団に語った。
野田佳彦財務相は15日の閣議後会見で、全国B型肝炎訴訟で原告らへの補償額として国が試算した2兆円の財政負担の財源として、増税による国民負担が生じる可能性に触れたと共同通信が報じていた。
首相は記者団に対し、野田氏の発言について「国民の理解を得られるということが重要だと思う」と語った。
これを遡ること4年前に最高裁の判例がある。2006年6月16日、国の責任を次のように記載している。

我が国では、予防接種法、結核予防法等に基づき,集団予防接種等が実施されてきた。国は、1948年厚生省告示第95号において,注射針の消毒は必ず被接種者1人ごとに行わなければならないことを定め、1950年厚生省告示第39号において、1人ごとの注射針の取替えを定めたが,我が国において上記医学的知見が形成された1951年以降も、集団予防接種等の実施機関に対して、注射器(針、筒)の1人ごとの交換又は徹底した消毒の励行等を指導せず、注射器の連続使用の実態を放置していた。
判例に記載されている上記医学的知見については最高裁は次のように認定している。
我が国においても、遅くとも1951年当時には、血清肝炎が人間の血液内に存在するウイルスにより感染する病気であり、黄だんを発症しない保菌者が存在すること、そして、注射の際に、注射針のみならず注射筒を連続使用した場合にもウイルス感染が生ずる危険性があることについて医学的知見が形成されていた。
判決では『1951年当時にはウイルスによる感染である』と書いているが、『B型肝炎ウイルスの発見は1973年のことである』とも認定している。つまり、ウィルスによる感染であろうとは思われていたがウィルスは確認されていなかった期間が20年以上あった。

事実、1964年にライシャワー大使が刺された事件があったが、輸血後肝炎になったことから、国は初めて売血制度を廃止する方向に動き、停止されたのはその後5年後のことである。

輸血後肝炎はウィルスであろうことは想像できたが、ウィルスそのものが確認されていないため、特定の人の限られた売血よりも善意による不特定の献血の方がより安全であろうということで、黄色い血キャンペーンをして切り替えたと思われる。

裏返して言えば、ライシャワー事件が起きるまでの15年間は、肝炎ウィルスに汚染されているかもしれない血液を輸血後肝炎が2割の確率で起きることを想定した上で治療の目的で輸血していたのが、医療の現場だった。

1951年は日米和平条約締結のとき終戦5年後のことである。愛媛労災病院の篠崎文彦先生は、予防接種とB型肝炎において、
敗戦後のわが国において予防接種に注射針をひとり一人交換して行うには物理的にも経済的にも無理であったと思われ、せいぜいエタノールで針先を消毒するのが精一杯であった事が想像される
かなりソフトな表現であるが、最高裁の判決がその当時の医療の現場や経済状況を理解した上での判決なのかを問うているように感じる。さらに、
1967年、Blunbergらは頻回に輸血を受けた血友病患者の血清中の抗体に反応する抗原がオーストラリア原住民の血清にあることをたまたま発見しオーストラリア抗原と命名した。1968年、PrinceやOkochiらがB型肝炎ウイルス関連の抗原であることを明らかにした。1970年になってDaneらは電子顕微鏡を用いてB型肝炎ウイルスの本体をつきとめた。
私が医学部を卒業したのは1976年。内科研修を受けた頃は、nonAnonB今で言うC型肝炎が大きな研究ジャンルだった。そしてHCV抗体が測れるようになったのは1992年以降である。

最高裁の判決は判例になり国民は受け入れる


つまり、厚生省は針の交換を定めた、それを周知させ徹底させる責務が国にある、徹底されていない現場はエタノール消毒で針の使い回しをしていた、だから損害賠償する責任は周知徹底する責務を果たしていない国が負うべきとの判決と思われる。

  • 告示したときの理想と、周知徹底するときの現実にギャップがあったのではないか?
  • 過去の国の責任を負うのが、今の納税者なのだろうか?

考えてみたい。




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