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2013/01/22

小沢一郎の生き様

政治家小沢一郎と自民党幹事長時代から同時代的に生きて来た。生身の小沢を見たことも聞いたこともないが、シンパシーは保ち続けてきた。

47歳の若さで自民党幹事長になった頃、竹下派会長代行として次の総理候補を選ぶために、渡邉美智雄、三塚博、宮沢喜一を事務所に呼び出し口頭試問をした。年もかなり上の宮沢さんが満面の笑みを浮かべて小沢を持ち上げている映像が何度も流された。

51歳のとき自民党を離党し、自民党政権が途絶えるなどとは想定できなかった当時、非自民連立政権が出来上がってしまった。政権交代を国民が選択をした民主党政権とは違い、政治力を駆使しての想定外の非自民連立政権だから、小沢一郎の実力を率直に評価した。

56歳、新生党、新進党を経て自由党時代になると、結集した議員が54名と少なかったことから小沢神話の崩壊がマスコミに公然と流され始めた。

自自連立を経て自自公連立により政権に復活したが、自由党外しだったのか、小渕首相が連立解消の会談直後のコメント時に発症したと思われた脳梗塞で倒れた。58歳当時、自由党は分裂し22名しか小沢側に残らなかった。

その当時のマスコミは小沢からは人が離れるといういわゆる人格攻撃的な報道もされ始めた。22名しか残らなかったにも関わらず、ふと気がついたら、民主党と合流し、結果的に民主党代表になったのは64歳、そして政権交代までしてしまった。

結果的に無罪になった陸山会事件もあり、小沢一郎にはシンパシーは抱き続けてきた。

民主党を離党し、陸山会の無罪確定もあり、やっと小沢一郎の手腕が見れるかと期待するも、維新と組めず石原慎太郎とも距離感があり、第三極の結集も無理と思っていた矢先に起きた未来の党発足、これこそが小沢マジックが出たと思った。

嘉田党首は毎日テレビ出演し、卒原発や子ども手当の復活など、ソフトであるもののしっかりとした語り口で喋っていた。理想的な流れだ。しかし、111名が立候補するも61名から9名への減少という結果に、未来の党構想は失敗に終わった。小沢一郎70歳。

これは嘉田党首の失敗ではなく小沢一郎戦略の失敗である。

既に70歳そのまま引退してもいい年齢だが、未来の党を嘉田党首から元の自分の党に戻したのは、それこそ豪腕そのもの。そして、今度の参議院選挙に次のステップを見ている。確かにねじれ国会にすれば、絵も描ける。

対照的な生き方としては、55歳で首相になった細川護熙は、退陣後は陶芸や茶道で過ごしているとのこと

(未了)

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