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2013/01/06

貧乏力を考える

厚労省の中部空港検疫所支所長を拝命したのは平成19年の7月だったが、16年ぶりに体験した官庁の閉塞感、霞が関以上に閉塞感に埋没している地方出先機関の凄まじさに、想定していたもののあらためて確認することになった。

60歳を目前にして第三の人生を模索するためなのか、平成21年7月に屋久島の地に来ることにした。そこで出会ったのは、都会では遭遇しない様々な移住者達だった。

不便を楽しむ


吉祥寺で成功したお好み焼き屋。週3日は八丈島に釣り三昧を楽しんでいたというのだから、かなりの成功だったと思われる。彼は突然閉店し屋久島に移住し、原地区に掘建て小屋を10万円で建てて晴耕雨読を試みていた。いろいろと話を聞いた。

『不便を楽しむ』これが彼のモットーだった。電気無し、水道無しの生活。庭には芋、風呂は雨水、大便は穴の中に一杯になれば埋める。そんな生活だった。夜はランプで本を読んでいるらしい。

身の丈にあった月3万円生活


家賃1万円、携帯電話代1万円、食費5000円、電気代500円、自治会費1000円、焼酎代3000円などなど3万円で生活している男がいる。

話を聞くと7歳から裏千家の修行、大学は高野山大学、札幌で型枠大工、牛窓でヨットガイド、軽トラで車上生活をしていたとのこと

年齢は40歳前後だが、いまは屋久島で150坪の敷地の3坪程度の家を月1万円で借りて生活している。松峯機織り工房と名乗り、アクセサリー販売をしており、月の売上は奇すくも3万円前後

いろいろと聞いてみた。風呂は雨水を貯めた五右衛門風呂、薪も使うが携帯コンロ、水道は基本料金が高いので契約解除し川の水を汲みに行っている、電気は小型冷蔵庫のみでテレビ無し、夜はウクレレを楽しんでいる。

貯金は150万ほどあるので、全くの無収入でも5年は生きていける。そもそも生活費が安いのでバイトを5日ほどやれば生活できてしまう気楽さ

年収20万円で生活する陶芸貧乏さん


テレビ取材がいまでも殺到しているのは、明るく話題豊富で陶芸に秀でている魅力からと思われる。1500坪の農地からは米以外の農産物が採れる。27歳から移住し60歳になっても大麦からビールを作りたい、大豆で醤油を作りたいと興味満々の生活をしている。

鹿が罠にかかったので食ったが旨く無かった、外国産の冷凍鶏肉が安かったのでひと月食べたが体調が悪くなったので止めた、などなど、そのチャレンジャー精神は面白い。

年収20万円の出処は毎年2000個ほど作る陶器を半分は壊し気に入ったものは隠しほんの一部だけ気に入った人にだけ譲った売上がそうだったらしいが、そもそも生活費は米代と焼酎代だけで、携帯も家賃もないので、そこからきたかもしれない。

陶器を買いに毎年屋久島に来る人もいるほどの陶器の出来らしい。去年は温度が200度ほど低かったので失敗したが気にいったものを再加熱したい、一度取材に応じて窯を撮らしたが気が散って失敗してしまった、陶器には達成というものは無いのだろう、日々チャレンジする、後継者に伝授する日は来ない、そんな思いを受けた。

貧乏力を極めると違った世界が見えるか?


貧乏生活に憧れ、極貧生活を楽しみ、誰にも依存せずに自由気儘に生きている人たちは、屋久島には数多くいる。

真冬でも草花が育ち、水は豊富で、海には貝や魚がいる、そんな屋久島だから、生きるために辛い仕事をする人は意外に少ない。

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