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2013/01/11

定年退職後の男の悲哀

高齢者対策の基本は子ども対策と違って、そこまで生きて来た結果として基本的には自己責任原則となる。老後の生き方を見るだけでひとというものが見えてくる。

いろんな人がいる。悲哀も感じるが、いわゆる定年後の男の生き方に思いを馳せたい。

錦江湾でウィンドサーフィン三昧の人生


定年後を生きていくには趣味を持たないといけないと、訓話を職員にしていた次長級で退職した県職員がいた。彼の趣味はアウトドアで屋久島では釣り特にエギングを得意としていた。定年直前の三年前に出身地である屋久島に異動してきたとき趣味であるウインドサーフィンを持ってきたほどのアウトドア派だ。

ヨットクルージングの知人がいたので、彼を誘ったところ嬉々として参加し、定年後の夢は日本全国の港をヨットで巡りたいと語っていた。それは夢にしか過ぎないのは誰にも分かる。ヨット未経験者が単独走行で沿岸と云えども甘い世界ではない。

職員には信望があり有能な方だったが、県庁での職務に疑問を持ち自らの希望で異動を希望したとき、上級職としてのルートから外れることを覚悟した。そんな自由な生き方をしていた。退職直前に311東日本地震が起きたが、彼は当然の如くボランティアとして東北に行った。

いわゆる天下りもあったらしいが、そこも一年で辞めたのも、彼らしい人生。そして今年の正月、錦江湾でウインドサーフィン3時間爆走との楽しい年賀状が届いた。文句なしの定年後の人生かと思っていたが・・・その後のメールで
仕事がある人は羨ましい
まさかのフレーズ。人生は一度、自分の好きなことを、などの言葉が出てくると思っていた。在職中から心を通じた付き合いをさせていただいたから、つい本音が出たのかもしれない。

これが、退職金もあり年金もあり貯金もあり資産もあり、アウトドアの趣味がある62歳の男のつぶやきだ。

趣味の畑や木々の刈り込みの日々の68歳の年金生活


朝のウォーキングでよく会う近所の人だ。毎日、朝と夕方ウォーキングをしており、自宅の庭の木々は綺麗に刈り込みをしており、惚れぼれとするような敷地でゴミひとつ落ちていない。昼間に会うと自宅前の歩道の植え込みまで綺麗に刈り込んでいたり、落ち葉を丁寧に拾っている。

厚生年金だから月に十数万円だが、屋久島なら月に5万円もあれば生活できるから金銭的にはかなりの余裕がある。屋久島には5名ほどの兄弟が健在でいとこも近くに住んでいるが、子どもは福岡と鹿児島に住み、奥さんは病気で鹿児島市に行っている。

呼ばれて家を訪問すると、これまた寡夫ぐらしとは思えないほど、ゴミどころかほこりひとつなく、置いているものが置かれるところに几帳面に整理整頓されている。食事も健康的だ。朝は卵と納豆、昼は大好きなうどんに野菜、夜は魚のアラ汁に焼酎の晩酌。

何も問題がないと思っていたら、
することがないから15時から焼酎を飲んでいる、誰も訪れない、年末に妹が来ると電話があったが姪っ子が食材を届けにきただけだった
兄弟がおり姪っ子や甥っ子もいるし、いとこも近くにいるんだから、寂しくないだろうと言うと、親戚と云えども用事があれば会う程度で気が合う訳でもない。

じゃ仕事かというと、仕事の口はある、警備員の仕事もあるし、タクシーの乗務もできるという。しかし、日々の生活に困らない年金生活を捨ててまでの魅力ある仕事ではないようだ。

画一的な定年制度や年金制度は個々の人生を崩壊させるのではないか?


60歳定年を65歳までの雇用保障へと世は動いているが、年金崩壊のための施策ではなく、個々の人の幸せを大事にする制度設計が必要な気がする。

イメージとしては、ベーシックインカムを基本とし、そこに生活維持のための苦役としての仕事ではないバラエティ豊かな勤務の提供が理想的だと思われる。

ベーシック・インカムは新党日本が提唱し、日本維新の会の綱領にも絶えず見え隠れしている。

大雑把に言えば、生活保護制度、年金制度、各種福祉施策をすべて廃止し、全ての国民に最低限の生活費を支給する経済学的な考え方。福祉関係職員の全廃に伴うスリムな政府が構築できれば財源の一部になる。

失敗したが民主党の子ども手当ても概念的にはベーシックインカムの子ども版と考えることができる。基本は複雑な制度設計が必要となる所得制限を撤廃しなければならないのに、公務員の仕事を増やすことになってしまった。

たとえば、豊富な業務内容の幅広いボランティア登録制度があればアウトドアとの両立ができるだろうし、歩道の植え込みの刈り込み隊のNPO法人があれば15時から飲酒することもなくなるだろう。

ベーシックインカムになれば、定年という概念そのものが無くなる、働き方も変わる、様々な社会参加が可能となる、ボランティアという概念も無くなるだろう。

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