ページ

2013/01/19

いつもの散歩友達が熟年離婚に遭遇した

金曜日だったのと、散歩途中で会話したので、今日、仕事が終わり家に帰るのが17時半だから、飲みに来ないかと誘った。

来るそうそう、とうとう女房が離婚届を提出した、と本当に寂しそうに口を切った。

ちょっと前までは、人身事故もし、鬱状態を解消するために転地が必要と屋久島から鹿児島市に奥さんが一人で引越しをした。彼女の思う通りにさせてあげたいとの思いのまま、鹿児島市への引越しの応援をし、自分自身は一人で屋久島に留まった。

ある日、私に家を買わないかと尋ねたので、いいよと応えたが、家が大きいので私の目論見とは違っていた。売りたい理由は68歳になっての一人暮らしは寂しい、女房がいる鹿児島市へ行きたいとのこと。

そして、一週間。女房から離婚届が送られてきた。署名と捺印をして送り返せば、彼女の心の安定になるならばと考えて、率直に送り返した。息子から立ち会い人としての署名を求められたが、次男は拒否をしたと安堵していた。

それが突然の離婚届への実姉の署名を得ての提出に彼自身、葬式代の150万円があることを息子に伝え、その後を委託した、とのこと。

あまりにも淡々としているのに驚いたが、熟年離婚を突きつけられる男側の悲哀に為す術のない状態に声をを失った。

熟年離婚、女側に問題がないのだろうか?

お袋のあの雑煮を食いたさに帰郷すると・・・


親父が70歳で死んで一年目に一人で寄島の家を守っている母親の元へ正月に帰省した日のことだ。いつもの美味しい雑煮が食べられると思ったら、子どものときから食べた鶏ガラベースの具沢山の濃くのある雑煮でなく、あっさりベースの昆布鰹節ベースの雑煮が出てきたのに驚いた。

何これ?
お母さんの実家の石川の雑煮。美味しいでしょう?
子供のときから食べていた雑煮が食べたさに帰ったのに・・・
お袋も70歳。親父ぴったりと生きてきた人生、連れ添いが死んで初めての正月、息子が帰ってきたときの雑煮が母親が味わっていた石川の雑煮を出したことに、父親と結婚しての50年間はじっと我慢の日々だったのだろう。やっと連れ添いが死んで作った雑煮が故郷の石川の雑煮に女の性を感じた。

母親と父親が仲が悪いのではない。父親が死んでから本当に沢山の人が焼香に来たが、母親はそれまで私と楽しく雑談していたのに、父親の友人が来ると、生きていたときのこと、死ぬ間際のこと、涙ながらに語り始める。いわゆる語り部そのもの。お参りにきた父親の旧友も来たかいがあったのだろう、涙ながらに帰る。

そのお袋も今は87歳。4年前に脳出血で、今は認知症。語るのは、自分の怖い父親に怒られたこと、兄弟の話、息子の私、娘の話、孫4人の話。そう、連れ添いのことが欠落している。

男は女房を心から信じているが、女は夫をどのようにみているのか、所詮は赤の他人じゃないか、そんな気がしてならない。

熟年離婚に備えるために


夫は順従な女房を見ていて信頼しすぎているのではないだろうか?セックスにしても養っているという意識にしても力仕事にしても俺なしで女房は生きていけない、

それは誤解であるような気がしてきた。女房は虎視眈々とチャンスを狙っている、経済的な独立ができれば、頼れるいいオトコができれば、割りと簡単に捨てられる、そんなリスクに備える必要があると思えてならない。


0 件のコメント:

コメントを投稿