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2011/06/27

時を語り継ぐ人々

ある会議で山尾春美さんの隣に座っていることに気がついたのは、年度最初の会議ということで出席者全員が自己紹介を順番にしていたときのことだ。思わずアッという声を出してしまった。

『森の時間海の時間―屋久島一日暮らし』という2001年8月28日に亡くなられた 山尾三省 さんの詩とともに遺された奥さんが綴った文章がコラボレーションしている共筆の執筆者と同じことに気が付き、同一人物が隣に座っていることを理解するまでの僅かなタイムラグ中の出来事だ。

会議終了直後に春美さんと話ができた。愚角庵を是非訪問したい旨を伝えるとともに、生命の島の山尾三省追想特集の編集人である日吉眞夫さんにも会いたく、彼は白川山にいらっしゃるのかと尋ねたところ2008年11月20日に亡くなられたとのこと。時は止まらず流れていることを今さらながら知ることになった。

山尾三省を全共闘世代の様々な生き様のひとつとしてしか見ていなかった私に、肥汲み用の柄杓の柄の寿命が数年なのに杓は10年以上も壊れずに使えていることから
プラスチックは邪悪なものと思っていたが現代文明も捨てた物でない
冷蔵庫やラジオのある生活をおくりつつ
人類がコントロールできない原発の無かったちょっと前の生活に戻りたい
豚を飼う段になって逃げないように電気柵を準備してしまう山尾三省に、いわゆるネイチャー派の原理主義者とは違った柔軟な生き様に興味を持った。

そんな話を奥さんの春美さんに短い時間で語ると、『三省は再生可能な自然エネルギーを主張していた』と告げる。書籍上ではそのような主張を未だ読んでいないが、それでは原発が無かった時代に戻りたいと書いていることと矛盾してしまう。

語り続けられた瞬間から、その言葉は語り継いだ人の思いが込められ、解釈が付け加えられる。あたかも旧約聖書があり、新約聖書があるのと同様に

遺せるのは遺伝子と作品しか無かった時代から、今は誰もがインターネットに様々な作品を出せる時代になった。そして語り継ぐ人が生み出すものも残っていく。

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